前職は製造業で工場勤務。転職後はプログラマーとしてシステム制作。信用されプロジェクトリーダーを任されるように。

やっぱりこうたろう 性別:男 職業:システムエンジニアに転職 愛知県

前職は製造業の工場作業。レーザープリンタの製造業務。

転職する前は、大手の工場で作業していました。主にレーザープリンタのカバーを製造していました。
表面特性の良いフッ素樹脂をしようして、レーザープリンタのローラーのカバーを製造していました。
射出成形機を用いて製造していましたので、医療用のカテーテルも作っていました。

私は、10年働いたのですが、3組3交代で年で副班長をなり、5年目で班長になりました。
3組3交代なので、1週間でシフトするという事で、普段の生活もきつかったです。

この当時はバブルの後期という事で、求人数が1人で4社選べる程あったので、単純に大手にはいりたいという気持ちで就職しました。
高校3年で就職活動をしたので、やりたい仕事は正直、ありませんでした。

就職6年目で本当に自分がやりたい仕事なのか考えるようになった。

転職したいと思ったのは、就職して6年目くらいでした。それまでは、この仕事が当たり前という事であまりなにも考えずに仕事をしていました。
しかし、仕事を真剣に考える様になり、今の仕事が自分にあっているのか?本当に自分がやりたい仕事なのかを悩む様になりました。

退職する勇気はなかったので、そのままだらだらとながされる感じで仕事を続けていました。
かといって、やりたい仕事があるわけではなかったので、かなりの年月を悩みながら仕事をしていました。

仕事の内容も、結構きつい仕事だったことも悩みでした。
ある日、ニュースを見ていたらIT業界が急成長し、技術者がたりないという内容を知りました。
このニュースを見て、学生の頃を思い出しました。

転職後はプログラマーとしてシステム開発の仕事に転職。

システム開発でのプログラマーとして仕事をしました。はじめは、ビジュアルベーシックとデータベースで使用するSQL言語でシステムの開発をしてした。
企業の基幹システムの制作や、工場の管理システムが主な仕事でした。

基本的にはプログラマーを3年間経験しました。
それから、大手の鉄工所のラインの自動化の仕事をするようになってからは、10年くらいこの製鉄所のいろいろな工程のラインの自動化の仕事を主にやっていました。

この頃にはシステムエンジニアとしても仕事をしていたので、システムエンジニアをしながら、プログラマーも両立して作業していました。
新規の立ち上げでのシステムもありましたし、改造案件もありました。
この鉄工所では、どのラインのシステムもオリジナルなミドルウェアが使用されていたので、仕様書の作成はかなり楽に行えました。

もともとプログラミングの知識があり、ニュースを見て触発された。

ニュースを見ていたらIT業界が急成長し、技術者がたりないという内容を知りました。
このニュースを見て、学生の頃を思い出しました。
私が中学の頃にパソコンゲームが流行りました。
その当時はとても中学生が購入できる物でありませんでした。インターネットもない時代だったので、情報源は雑誌のみでした。

そんなときに、家庭のテレビに接続可能なMSXという低価格のパソコンの存在を知りました。
私は、お年玉で購入し、ゲームをたくさんやりました。
このパソコンには、もう一つ機能がりました。ベーシックというプログラム言語で、プログラムを組む事ができました。
私は興味があったので、独学でプログラムを覚えました。

工業高校に入学した時に、びっくりしたのが、遊びと思っていたプログラムの授業があったのです。
私は、3年間で習うプログラムは把握していたので、授業は教え役として、授業に参加していました。
どんどんプログラムにはなり、卒業研究もプログラムでソフトを作成しました。
この当時に、プログラムで仕事をするという概念はありませんでした。
しかし、このニュースを見て、プログラマーになりたいという気持ちになりました。

中途入社だったため高卒同期とのレベルの差に苦しんだ。

やはり中途入社という事と高卒という事で、同じ年の人とのレベルの差に苦しみました。
どうしても、この年ならこのくらいの仕事ができるでしょみたいなプレッシャーは毎回ありました。
私は、はやく同じ年の人に追いつきたいという気持ちで、みんなよりも多くの仕事を取得して休日返上して、レベルが追いつく様に頑張りました。

しかし、みんなが忙し上体でなかなかゆっくりと教えてもらえる余裕がなかったので、人が作ったプログラムを参考にしたり、似たようなシステムのソースを見たりして何とかしがみつきました。

私の中では、仕事が丸投げという状態だったので、心の中ではパワハラだと正直、思っていました。
しかし、みんなも同じ状態で仕事をしていたので、頑張るしかありませんでした。

徐々に信用してもらえるようになり、プロジェクトリーダーを任されるように。

鉄工所では、もと工場で働いていたという事で工場での専門用語をしっていたので、かなりみんなに追いつく事が出来たし、設計では優位になり、まわりのみんなも認めてくれました。
この頃を思い出すと、今やれといわれたら、挫折していたと思います。
若かったからできた事だと思います。

鉄工所でのシステムは、信用してもらえるので、どんどんと仕事のスケジュールが埋まって行きました。
この控除9宇のオリジナルミドルウェアを習得した事が大きかったです。

分からない事は私にきけば、解決するという信用を手に入れました。
信用される事になり、プロジェクトリーダをやらせてもらえる事が増えました。
自分がやっていた事が正解だと思いました。
仕事は、安定し始めてどんどん新しい事を吸収しました。

転職には成功の保証はないし悩みに悩んで退職した。

10年働いた仕事を辞める時は、本当に勇気がいりました。
成功する保証はないし、しっぱいすれば、自分の責任なので本当に悩みに悩んで、退職をしました。

退職してから、派遣のラインの仕事をしながら、パソコンスクールに行きました。
就職がすこしでも有利になるように、資格を取得する事に決めました。
前職を辞めたのは、なあなあにならないように自分を追い込むためです。
在籍しながら、勉強してもよかったのですが、流されてしまうのが怖かったから思い切りました。

ライン作業をしながらの勉強は本当に苦しかったです。
この時点で、正直、何回も後悔はしました。
しかし、後はないように自分できめたので、半年かかりましたが、資格を取得しました。

年を取った時に後悔しないか?思い切ってやりたいことに向かっていくことも正解。

今の時代は終身雇用という概念は消えました。
そんな中でも、本当にやりたい仕事ができないなかで、その仕事にしがみつく事が本当に幸せなのか?年を取った時に後悔しないか?で変わってくると思います。
家族を養うためなら、やっぱり今の仕事にしがみつくのも道だと思うし、思い切って本当にやりたい事に向かっていく事も正解だと思います。

仕事は1つではないし、得意不得意もあります。
会社がつぶれてしまう事もあります。
そうなった時に、どこまでのすきるをもっているかで、復帰もはやいと思います。

こんな時代なので、会社にしがみつくのではなく、自分の将来、家族の将来を考えて仕事を考える事が大事だと思います。
一言でいうと将来、後悔しなければいいのです。

その後悔をどこまで減らせるかが人生だと思うし、家族えを養う事でもあると思います。
今は、大手の会社でも簡単に崩れる時代です。
そんな時代なので、生きていけるスキルを手に入れる事が大切だと思います。