前職はアパレル業界。転職後は携帯電話の代理店サービス。やりがいのある仕事に出会て店長を目指したいくらいやる気が湧いてくる仕事に出会えた。

ニックネーム:chipichipi
年齢:38歳
性別:女性
業種:営業
お住まい:北海道

前職はアパレル業界。学生時代によく通っていた古着屋に就職した。

短大卒業後、古着屋さんにアルバイトで入社しました。
中学生の頃から古着が好きで、それを職業にしようと最初は考えていませんでしたが、就職活動をしながらやはり古着を着て働きたいと思い、内定の出ていた会社を蹴って古着屋さんのアルバイト募集に応募しました。

よく通っていた古着屋さんです。全国に数店舗持っている会社でした。
そのお店は店舗面積も広く、1日の出勤人数は10〜12名、3〜4名ずつのグループを作り1日共に仕事をします。

グループ毎に1時間ごとに検品・品出し、フロア接客、レジと交代で行います。
当時は契約社員、正社員の人数に制限があり、誰かが昇格または退職してポストが無いと昇格できない仕組みでした。

ポストが空いても同期入社がいる場合は査定されるため、必死でアピールしていたことを覚えています。
私も入社半年程で契約社員、2年ほどで正社員になりました。契約社員と正社員の違いは、待遇面で時給か固定給かの違いでしたが、任せられる仕事も若干違います。

正社員は発注やグループリーダーとして1日の動きを決定します。
私は出世したくて、楽しくてがむしゃらに働きました。セールの時はお祭り騒ぎでした。

入社から4年ほど経った頃、徐々に古着ブームが去り、会社もオリジナル商品を作り始め、そちらに注力するようになってきました。

売り場もオリジナル商品が大半を占め始め、ガイドラインを細かく決められ、本社も徐々に人が入れ替わり、外部の方達が重要ポストにつき始めました。
何か違和感を感じ始めました。以前のときめきやがむしゃらさがなくなりました。

接客して売ることに抵抗を感じた。部署を変えたがなじめず転職を決意。

周囲の社員も同様でしたが、それでも必死にお客様に商品を勧める姿を見て、「自分にはできない」と無力感に襲われました。

それでも次に進む勇気は持てず、その時に新しい商品を管理する部署ができ、「接客しなくていいなら」と思い異動を志願しました。

その部署は一日中在庫の管理をします。とは言っても売れる戦略を立てたり、お店のトレンドを探す仕事ではありません。棚卸時の差異を極限まで減らすことが目的でした。

最初は新しい作業に集中できましたが、もちろん長続きはしませんでした。
私たちも新たに入ってくる人達も、ここが古着屋なのか何屋なのかわからなくなっていました。

ほかの古着屋に移る人が増え始め、私も退職を決意しました。

転職後は携帯電話の代理店。ポップの作成、商品発注、イベント内容の作成、研修、勉強会などが主な業務。

転職した会社は携帯電話販売の代理店です。お客様の対応をする窓口業務が主な仕事ですが、ポップの作成、商品発注、イベント内容の作成、研修、勉強会など多岐に渡ります。

店長になると、売上管理、スタッフ評価、シフト作成、会議、外部業者との打ち合わせ、研修(教える側の勉強、マネジメント研修参加)、スタッフとの面談、クレーム対応、金銭管理などなどやることも責任も増え、店長じゃなければできない業務も多く、一言で言うと毎日毎日本当に忙しいです。

イレギュラーにキャリアから提出を求められる書類も多く、スタッフも良い子ばかりとは限りません。

辞めると言えば説得し、成績が悪ければ様子を聞き、急に来なくなる子も、辞めたいオーラ全開で働いてる子もいてスタッフと接することが何より大変でした。

自身の携帯電話を壊してしまったことがきっかけで仕事の内容に興味を持った。

特にやりたいこともなく、資格も特技もなく、自分に自信を失っていました。
当時25歳でしたが、当時求人誌を見ても経験のあるアパレル関連は年齢的にアウトでした。

給料の高い仕事は大変なんだろうなとか、安い仕事は暇なんだろうなとか、条件で選ぶ気にもなれませんでした。

そんな時、携帯電話を水没させてしまいました。電源も入らず中のデータも全て無くなりました。泣く泣く携帯電話ショップに行き、新しい機種を購入しました。

そのお店、スタッフの対応が良かったわけではありませんが、その作業内容に興味を持ちました。手際よく診断し、今後どうすれば良いかを提案する、パソコンを叩きプラスαの提案をする。一気に惹かれてしまい手当たり次第に携帯電話ショップの求人に応募しました。

職場に無責任な女性が多かったこと、男女差別を受けたことが辛かった。

当時は女性の職場という感じで、言ってしまえば腰掛け社員が多く、見た目も派手で、制服は着崩し、やりたいことと自分の権利だけは主張する、責任のある仕事はやりたくないという女の子が多かったです。

うちの代理店特有のものだったのかもしれませんが、当時ほかのショップもそんな女性が多かった記憶があります。

私は楽しくて楽しくて、積極的にお客様に話しかけ、この店で一番売ってやろうと思って働いていました。一緒に働いていた無気力な女の子たちも、結婚、出産で数が減りました。

当時、うちの会社は店長や管理職は男性が多く、男性は正社員、女性は契約社員とくくられていたことも堕落する一因となっていたんだと思います。

私は周囲の環境に流されることもなくあまり気にしていませんでしたが、男女で差別されていたことは悔しかったです。

店長が背中を後押してしてくれたことが励みになった。

悔しくて、私は「店長になる」と宣言し続けて働いていました。せっかくやるならできる所まで昇り詰めようと思いました。

販売成績は店舗の中で一番をキープし、誰よりも先に御来店されたお客様を受け、ハキハキテキパキ動き、先輩が処理できないクレームも気にせず私が受けました。

会社自体は古い体質が残っていましたが、幸いなことに店長は理解があって私を後押ししてくれていました。

やりたい事を提案し、やる時は全力でやる、とにかく楽しんで働く事を心がけました。周囲の女の子には理解されないことの方が多かったのですが、中には歩み寄って協力してくれる人がチラホラ現れました。

そしてお店の成績が上がるにつれ、やりがいを持ってくれるスタッフが増えてきたことが本当に嬉しかったです。

目標達成の充実感や職場の人間関係にも比較的恵まれて転職してよかった。

一言で言うとよかったです。尊敬できる先輩、上司に出会い、認められるために働くことが自分のモチベーションでした。目標を立て、達成することの嬉しさ、達成し続けることの難しさ、泣きながら仕事して、感情を出し切って全力で働く職場に出会えたことに感謝してます。

それを後輩に味わってもらいたいと思いました。

私は宣言通り、店長になり、今は店舗を統括する立場にいます。女性で初めて正社員にもなり、管理職にもなれました。

賞もたくさんいただき、記録も残しました。前向きになりたい自分を形にできたことが、自分の自信にも繋がりました。

運も良かったと思います。前の職場は、今も名前は残ってますが、規模も縮小され、私の街からは無くなりました。

勇気をもって飛び込んだらきっといい未来が待っている。

勇気を持って飛び込んでみてください。自分で自分の限界を決めないでください。勇気を持って飛び込んだ場所で全力で楽しむことができれば、絶対に明るい未来が待っています。

私は、今また別の職種にチャレンジしてみようと考えています。自分の未来、最期を考えた時、さらに幸せになれる道が見つかりました。それは今の会社で得た自信と経験があるからです。

そして月並みかもしれませんが、私は「転職しなきゃ良かった」という人に出会ったことがありません。

転職した先でうまくいかなかった時、本当に自分のやりたかった事が見つかったり、今までの環境が幸せだったのにと気付いて、更に自分の進むべき道が明確になると思います。全ては自分次第です。