前職はスポーツ用品関係の営業。転職後はメーカーの生産管理部門勤務。初体験の仕事は新鮮だった。感謝の言葉を貰ったときは本当にうれしかった。

ペンネーム:takuchin
年齢:38歳
性別:男
職業:自営業
お住まい:埼玉県在住

前職はスポーツ用品関係の営業。公共の体育施設への用品物販や体育器具を小中学校へ収めるなどの業務。

20代前半から半ばにかけて、スポーツ用品関係の営業の仕事をしていました。
簡単に言うと、体育器具を小中学校へ収めたり、中学校の部活に必要な用品をチーム単位で販売したり、公共の体育施設への用品物販の仕事をしていました。

あまりおおっぴらに小売はしていませんでしたが、基本は外商のスタイルで、事実上の小売はしていましたので、地域のサッカーチームや少年野球チームのユニホームなども手がけていました。
特に私の悩みだったのは、自分では集中して打ち込んでいるはずなのに、1日1個は凡ミスをすることでした。例えば忘れ物。

約束の時間など、社会人としてできて当たり前のことが、普通にできない自分に腹が立ち、3年勤めたこの会社ですが、後半の1年半は常にイライラしていました。

結婚のことを考えたとき福利厚生、給料等も不安だったため転職を決意。

在籍3年のうちの最後の1年は、もう完全に営業としての自信を完全に失っていて、自分が外回りすることでかえって会社に悪影響なんじゃないか?
と自己嫌悪というか、被害妄想みたいな感じに陥りつつ仕事をしていました。

もっとも、そんな下を向いた状態で仕事するから仕事にも響いちゃうんですが、この頃は「営業以外の仕事で金を稼ぐって、どんな感じになるんだろう?」と思っていました。
また、当時付き合っていた彼女(今のカミさん)と結婚に向けての事を考えると、待遇面(給料はもちろん、社会保障など)にも疑問を持ち始めていたので、これはいっそ転職して体制のしっかり整っている会社に行こうと考えていたのが大きな転機になりました。

そのときの会社はものすごく小さく、手取りの給料も、社会保険も、待遇はほぼゼロに近かったのです。

転職後はスポーツウエアーにマークの加工メーカー。生産管理部門として商品チェックや納期管理、勤怠管理などの業務。

転職先の会社は、スポーツウエアーにマークの加工をするメーカー。
とてもマニアックなジャンルですが、一応、東日本では最大手の企業でした。

本社は埼玉県川口市。私は高校時代3年間を過ごした土地ですので安心は安心でしたが、工場勤務として再出発したので、仕事を覚えるのに毎日必死でした。

生産管理部門に配属され、簡単に言えば出来上がりの商品のできばえをチェックしたり、納期の管理、パートさんの勤怠管理や各支店との連携など、本社と工場の内部の仕事がメインとなりました。
また、外注先に作業をお願いするときの人材管理も仕事の一部で、いわゆる内職さんにどんどん仕事を振るのも、私の仕事でした。
マークの加工そのものはパートさんの仕事でしたが、自分でもできなきゃいけないと思い、一緒に作業をして一通り身に付けました。

異業種に転職した理由は営業以外の仕事をしてみたかったから。

とにかく、営業ではない仕事をしてみたかったという一点張りでした。
なので、この会社ともう一社、物流関係の会社の説明会の予約もしていたのですが、元々スポーツ用品関係の会社は憧れていた職業であり、営業ではない仕事をしたいと思いつつも、「あまり思い切った業界変更は嫌だな。可能であれば、
スポーツに関する企業の方が長続きしそう」というわがままもあり、この会社に入社しました。

営業から離れた仕事についたおかげで、直接顧客と相対することはなくなりましたので、そういった部分では不安やストレスはなくなりましたが、工場の作業ミスによるクレーム対応など、違う部分で強烈なストレスを感じるようになっていました。

「俺が作ったものじゃないのに、何で俺がやり直さなきゃいけないんだ!」と不服に思いつつも、1週間クレーム処理に追われたこともありました。

プロジェクトの有無によって納期スケジュールを煽られたり、仕事の割り振りに困った。

入社して1ヵ月後にビッグプロジェクトが始まり、工場長の支持のもと、そのプロジェクトの生産ラインが最優先となってから、通常の商品の工程に大きな支障が出始めてきて、営業から毎日、「これ、いつ仕上がるんだよ。明日には発送するんだから、明日中には仕上げろよ」と納期を確認され、すごまれる事態になってしまいました。

しかし、上司(工場長)に相談しようとしても、年末に発売予定の新商品の開発を手がけている人だったので、そちらのソフト開発に時間を割いており、まったく聞く耳を持ってくれなかったのが一番困りました。
本当ににっちもさっちも行かなくなってからようやく、「仕方ねぇなぁ・・・」と仕事を振り分けてくれて、とりあえず一難過ぎましたがほんの一瞬だけ。

翌々日にはまた加工品で溢れ返り、しばしこの状況が続きました。

担当者を煽ったり現場が回らない事態に。休日も仕事のことで頭が一杯でした。

とにかく、加工担当の内職さんにスピードアップを要求し、仕事が終わっていなくても次から次へと加工品を持って行きました。
しかし、そういうときに限って「疲れたから1週間休ませて」と言われ、内職が減る事態に。

3人いる刺繍ミシンの専門内職さんのうち、エース格はビッグプロジェクト担当のために通常の加工品は仕事をお願いできず、残りの2人のうちに1人が音をあげて、残った一人が一番能力の低い人。
当然、回るものも回りません。この時期は本当に毎日、この刺繍の加工品をどうしようか、という事しか考えていませんでしたし、休みの日も不安で仕方ありませんでした。

たまたま休みの日に仲間とスキーに出かけた日がありましたが、スキーどころではなく、滑っていても頭の中は仕事のことでいっぱいでした。

初体験の仕事は新鮮だった。感謝の言葉を貰ったときは、本当にうれしかった。

それまで体験したことなかった仕事(言ってみれば作業)なので、新鮮でした。
また、工場内には多くのパートさんがいたので、できる限りコミュニケーションを取るようにして、作業の連携を図る意味でも、悪ふざけする意味でも、仲良くするように心がけました。

もちろん、繁忙期には毎日残業、場合によっては日付変更線をまたいでから帰るという日もありましたが、残業代がついて給料が弾んだり、加工知識を営業に伝えてサポートしたりと、営業とは違う畑の生産側の気持ちが分かったというのが一番の収穫だったと思います。
営業は詳しい加工の部分まで知らないこともあるので、そこを解説してあげたり、納期通りに製品をあげて「ありがとうな」と感謝の言葉を貰ったときは、本当にうれしかったです。

転職前に企業研究・業界研究をしておくとスタートしやすい。新しい職場の疎外感も一瞬だけ。慣れるまで何とか辛抱。

転職するに当たり、どのような業種のどのような会社に行こうとしているのか、今一度よく考えて、企業研究・業界研究をしておくと、次のステップに行った時にスタートしやすいと思います。

新しい会社ではやる事なすこと全てが分からない事だらけだと思いますし、周りとあまり会話もできない疎外感に苛まれると思いますが、それも一瞬です。
慣れるまでは誰でもそういう状況なので、慣れるまで何とか辛抱ですね。

そうしてみんな成長して、いつの間にか周りから認められるようになっているんです。
もちろん、一生懸命さは決して忘れてはいけませんが、肩に力を入れっぱなしも良くないので、時には冗談を言いながら仕事するのも悪くありません。
転職はまさに心機一転。頑張って下さい!